おそ松さん1クール目備忘録

おそ松さんの1クール目が終わったので、ここまでの感想を備忘録としてまとめて2クールに備えたいと思う。

 

おそ松さんは赤塚不二夫原作のおそ松くんが大人になったという設定で2015年秋にスタートしたアニメだ。

私がおそ松さんのことを認識していたのはだいぶ早い段階だったと思う。ネットニュースかなにかで赤塚不二夫生誕80周年でおそ松くんのリメイクをやると読んだとき、いまさら?とか、大丈夫か?とか無駄に声優豪華だなーくらいの感想しか抱いていなかった。それがまさかこんなにハマることになるとは夢にも思っていなかった。ここはひどい沼だった。

 

とはいっても1話からずっぷりハマっていたわけではない。正直最初のほうはにゃるこさんみたいなパロディアニメとして認識していた。今は配信停止となった1話はうたプリ、進撃、ハイキュー、黒子、アイカツ、そのほかも山ほどのパロディのオンパレードだったし、2話はカイジパロ、3話はSAWやこれまたお蔵入りになったアンパンマンパロなど盛りだくさんで、もうこれはこういう路線のアニメなんだとゆるい感じで見ていた。頭を空っぽにして楽しむものだと。あくまで原作よりも少しキャラを立たせた6つ子を使ったパロディをやることが主目的のアニメだと勝手に決めつけ、どこかでタカを括っていたのだ。実は3話以降パロディは減っており、赤塚不二夫作品らしいブラックユーモアが増えていったのだが、それでも初回3話分の衝撃が大きくこれはパロディアニメだという思い込みはなかなか消えなかった。(パロディアニメは考察に値しないということではなく、私のパロディアニメの楽しみ方がこうだというだけの話です)

 

これが大きな認識間違いだったと気付いたのは7話のいわゆるトド松担当回と呼ばれている、「トド松と5人の悪魔」という回だった。私はハンマーで頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。これは単なるギャグアニメではないのではないか?こう考えた時から、私はおそ松さんの沼にどっぷりハマってしまったのだ。

7話がどんな話か簡単にまとめると、

・末っ子のトド松がニートな自分の現状を恥じ、ワンランク上の人間になるべくトド松の考えるワンランク上の人間が集まるスタバァでバイトを始める

・バイト先に兄らが来るが、ニートな兄弟は恥ずかしいから帰ってくれと頼む

・しかし揉めているところをトド松のバイトの同僚の女の子たちに見つかりその子らの計らいで全員店内へ

・トド松は兄らをトイレ側に押しやるなど、とにかくひどい対応をする

・そんな中トド松がバイト先で慶應の大学生であると嘘をついており、さらに女の子たちと合コンの約束までしていることが発覚する

・トド松は合コンの場で兄らにひどい汚れ役をやらされるという制裁を加えられる

という流れだった。

ドラえもんなどによくある勧善懲悪で王道な筋書きだ。しかし、私はこの回で大いに頭を悩ませることになった。なぜなら、最後に一松が汚れ役を完遂したトド松におかえり、と言ったのに対し、トド松がただいまと言ったからだ。

 

なぜトド松はただいまと言ったのか。

これが一松のおかえりだけであれば私はこんなにも悩まなかっただろう。トド松はドラえもんにおけるのび太のように、少しだけずるをして失敗しただけ。自業自得とはいえ単なる被害者でいられた。しかしトド松はただいまと言った。単なる被害者でないことを他でもないトド松のこの台詞によって示されたのだ。

そもそもなぜトド松は汚れ役をやっただろうか。脅されて汚れ役をやったのであれば脅しの内容は、バイト先に経歴詐称をバラされると店に居場所がなくなるため仕方なく汚れ役をやったと考えるのが自然だろう。しかし、それでは矛盾が生じてしまう。というのも、トド松が憧れるワンランク上の人間とはあくまでトド松が認めるワンランク上の人間に認知してもらって初めてなれるものなのだ。(スタバァというおしゃれな職場で働くだけでは不十分で、同僚の女の子に合コンに誘ってもらえたことでようやく自分はワンランク上の人間になれたとトド松が言ったため)

したがって、汚れ役をやった時点で経歴詐称をバラされなくてもトド松はワンランク上の人間に失望される=ワンランク上の人間でいられなくなるということになり、結果だけみると汚れ役をやろうがやるまいが店にいる意味がなくなるので同じことなのだ。それでもトド松がやったのは、おそらく店に居場所がなくなったトド松が帰る場所は結局兄弟の元しかなく、一度自分から切って捨てた兄弟に再び仲間入りさせてもらうためのペナルティであるため受け入れるしかなかったと推察できるのだが、ここから6つ子の中での力関係が読み取れる。

おそ松、カラ松、十四松は汚れ役をやったトド松に対し概ね面白かったといった旨の発言をしたが、チョロ松はよく頑張ったと言い、一松は見直したと言った。この二人は他の兄弟と比べ完全に上から目線での発言であり、つまりトド松に対するペナルティを課したのはこの2人であると言えるのだ。3話のパチンコ警察(パチンコで勝ったことを兄弟に隠そうとしたトド松を警官に扮したチョロ松と一松がシメる話)でもこの二人によって摘発され刑が執行された。(この時のトド松の罪状はパチンコ祝儀隠蔽法違反)このことから兄弟内には明確なルールが存在し一松とチョロ松によって管理されていることがわかる。特に、チョロ松のよく頑張ったという発言はかなり強い。一松はスタバァで一番トド松を追い詰めるような行動を取っていたが、一松はあくまでも実行部隊で兄弟内での権力者は実はチョロ松のほうだ。3話の寝かせてください(明日朝早いから騒ぐなというチョロ松にいろいろな事件が起こり結局寝られないという話)で、一松が屁をしてチョロ松を起こしてしまったとき、一松はチョロ松に土下座した。実の母親に対して野放しにしとくと犯罪者になるかもしれないと脅し、他の兄弟からも何をしでかすか分からないと評されている一松が、明らかにチョロ松に対してのみ下手にでていることからもチョロ松の兄弟内での地位がかなり高いことがわかり、ルール策定にも大きく関与していると推測できる。

チョロ松は普段はおそ松を立て兄弟の中心に据えているように見せかけているが、2話のおそ松の憂鬱で(ヒマを持て余したおそ松が兄弟にちょっかいをかけたり兄弟の知らない一面を垣間見たりした結果、兄弟は聖澤庄之助(おそ松の知らない他人)をニューおそ松兄さんとして迎える話)で聖澤庄之助をニューおそ松兄さんに据えたのはおそらくチョロ松だし(あの回で直接被害を被ったのはカラ松とチョロ松のみで、カラ松はひとまず仕返しは果たしていたし、全体を通してイタイキャラであり基本的に存在がスルーされる傾向にあるカラ松がおそ松に対するクーデターを起こし他の兄弟がそれに追随するとは考えにくい)、6話のハタ坊回(億万長者になったハタ坊の誕生日会に招待される話)でハタ坊にお金をせびろうとしたおそ松とそれに流される兄弟に唯一反対意見を言ったのもチョロ松だ。おそ松は確かに6つ子の長男でカリスマ性も求心力もあるのだが、兄弟内で確かな実権を握っているのはチョロ松だと言える。

 

話がだいぶ逸れたが、おかえりとただいまという台詞をきっかけに上記以外にも本当にいろいろなことを考えた。考えざるを得なかった。6人それぞれが6つ子であるということにどのように向き合い、兄弟の中でどのようなポジションを築き、6つ子として扱われることにどのように折り合いをつけ生きてきて、そして今に至っているのかということに向き合わなければならなくなったのだ。なぜなら、それくらいの密度でおそ松さんという世界は作られていることが分かってしまったから。このおかえりとただいまというたった二言の台詞から、私は遅ればせながらキャラクターそれぞれが非常にリアルに、緻密に、繊細に設計されているということに気が付かされたのだ。(実際、キャラクターについては12話のコメンタリーでも役者のアドリブがほぼ許されないほど厳密にコントロールされているとの言及があった)

 

そうするとこれまでギャグだから、とスルーしてきた疑問点が一気に私に襲い掛かってきた。例えば、2話。2話は6つ子がイヤミに騙されブラック工場で働くという内容の回だったが、ここで4男の一松だけ班長に昇格しているシーンがある。そもそも一松はクズだと自他ともに認めているキャラクターで、間違っても出世するようなタイプではない。しかもそのシーンは1カットだけであり、それが直接的に笑いを取るようなものではなかった。例えば、出世した一松が他の兄弟をコキ使うとか言うのであれば分かりやすく面白かっただろう。しかし、そういうこともなく、兄弟でだれも一松の昇進に言及していない。6人全員同じタコ部屋に詰め込まれていたことから昇格によって待遇が向上したわけでもなさそうだった。ではなぜ、わざわざ一松が昇格したシーンを入れる必要があったのか。

あの話の中だけで解釈しようと思えばできなくもない。ブラック工場に着いたときに一松だけ作業内容などについて知る必要ないと脳死発言していたことから、命令に疑問や自我を持たない会社に都合のいい駒はどれだけやる気のない人間でも出世できるというアイロニーだとも受け取れる。自他ともに認めるクズが唯一出世する面白さがないでもないだろう。しかし、もっと大きなストーリーの流れの中であのシーンが何か意味をもつのかもしれない。ストーリー全体としての何かの伏線である可能性を疑わずにはいられないのだ。

 

また、8話のなごみのおそ松回。この回はいわゆるミステリパロディ回だったのだが、驚くべきポイントはこの回でこのアニメの最大の特徴である「6つ子」という看板を外したという点だ。6つ子は出てきてはいるものの6つ子ではない赤の他人という設定で、カラ松は死んでいるし、トド松もチョロ松も十四松も普段の彼らのキャラクターからはかけ離れているものだった。一松に至ってはおそらく一松だろうと思われるキャラはいたが結局ずっと覆面をかぶっていたし一言もしゃべらなかったのであれが一松だとは断定できなかった。(おそ松だけは普段とあまり変わらないような感じのキャラクターだったが)

前にも述べたが、おそ松さんにおいて6つ子それぞれのキャラクターはそれこそ厳密にコントロールされていたもので、大前提のようなものだったはずだ。単なるミステリのパロディなら元のキャラクターでもできたはずだ。にも拘わらず、それをすべて投げ打ってでもあの回でやりたかったことはなんだったのか?ミステリパロディ以外になにか別の意図があるような気がしてならないのだが、いまのところその理由は分からないし推測すらできていない。

 

各話それぞれの疑問だけでなく、全体を通じても疑問は多々ある。例えば、おわりとついてある回とそうでない回があるのは、物語内での時間の連続性と非連続性を表しているのではないかとか(前者は他の回での設定を引きずるもの(例えば7話で初出したトッティという呼び名を8話や10話、11話でも使用されているもので、後者は話中でキャラクターが死んでも次の回でしれっと生き返るようなもの)、おそ松カラ松の呼び名に兄さんとつくときとつかないときがあるとか(キャラ設定のミスとしては単純すぎて考えられないのでなにかしらの理由があると踏んでいるが基準が不明)、7話北へ回における主線の色について(デカパンとダヨーンが列車にはねられて以降彼らの主線が茶色から青色に変わったことを指摘された方がいた)、オープニングのラストシーンで一松の口からハトが、カラ松の耳から魚が出るなど、何かありそうな、さあ考えろと言わんばかりの含みがとにかく満載なのだ。頭を空っぽにして見ろと言われてももう無理だ。考えたくなくても何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 

それ以外にも細かい疑問点を上げたらキリがないのだが、すべて計算尽くであるなら、疑問にすべて答えがあるのではないか。そしてそれはすべてがつながったときに初めて見える景色ではないのか。綿密に作り込まれているという製作者サイドへのそんな安心感があるから、考えてもちゃんと答えが用意されているような気がして考えずにはいられないのだ。もしかしたらかなり的外れなことで悩んでいるのかもしれない。それでもあらゆる可能性を考えることが楽しいのだ。

 

深いジャングルに迷い込んだような気分だ。いまでも絶賛迷子中でまだ自分の中でさえ明確な答えがない。個人的には大きなカタストロフィが起こるような気がしているが、これに関しては全話終わるまで結論が出せない。もしかしたらなにもないかもしれない。というかなにも起こらない可能性のほうが高いだろう。しかし、考える余白がありかつ考えることが無駄ではないことがある程度保証されている作品は本当に素晴らしいと思う。

 

彼らの物語は一体どこへ向かおうとしているのか?

年明けすぐに2クール目が始まるが、これからも非常に楽しみな作品だ。